2005/08/24

駒大苫小牧高校の暴力事件

 明徳義塾の時には何の反応もしなかったのに、駒苫の話になったら突然反応するのは、明らかに北海道在住者の身内意識によるものだし、こういう問題はかな りデリケートなものなので、ここで発言するのはかなりためらわれたのですが、あまりにも引っかかるので敢えて記事にしてみました。

 まずはこの記事を書くきっかけとなった hotular さんの「駒大苫小牧の部長が暴力 野球部員に、謹慎処分」という記事から引用してみます。
 スリッパではたかれることや平手打ちで3、4発が暴力で、そんなことがあった部全体は処分を受けるべきだなんつーのが俺にはどうもバカらしいとしか思えないんだな。日々のつらぁい練習で苦痛を感じながらもやり遂げるべきである部活動で、その苦痛に耐えられなくなってサボったりする人もいるわけだね。で、そのサボってる人ってのは一生懸命やってる人にとっては大概邪魔なんだよね。部に来なくなればいい方で、休むだけの気概もないけどでも練習だるいし適当にやっとくかーみたいなのは本当に邪魔。こういう人に監督が「やる気ないなら(・∀・)カエレ!!」って言うと「やります」とか言ってそれなりに頑張るんだけど、多くの人はその頑張りが長続きしない。まただれる。で、個人的に呼び出して退部を勧めると「辞めません」と。会社じゃないし辞めないって言うものを辞めさせるわけにもいかんから練習に参加させるでしょ。それでもだれる。口で言ったってわかんねーんだ。ムカつくよー。しかも駒苫なんかは甲子園目指してるような強豪校で、一人の面倒ばっかり見てらんないの。これって、手、出ないですかね。

 かなり荒っぽい表現ですが、私が引っかかっていたのはこのあたりなのかなと思わされました。
 
 スポーツを極めるとき、頭で考えるのではなく無意識に体が反応するようになるくらいまでの厳しい訓練が必要になります。これはちょうどプロのミュージシャンが、歌を歌ったり口笛を吹いたりするのと同じような感覚で楽器を演奏できるようになるのと良く似ています。
 今大会での駒苫のエラーの少なさを見ると、相当な守備練習を重ねてきていたことをうかがい知ることができます。彼らはボールを見れば自然と体が反応し、無意識のうちに正確にミスなくボールを処理するまで訓練されていたのではないかなと思います。

 そういった厳しい訓練に耐え抜くためには、ひとつの目標に向って盲目に突き進む意識の統一が必要です。個人的にも、集団的にも。そういった状況の中で今回の事件の原因となった生徒のような行為は当然ながら許されるものではありません。
 それでもやはり暴力は認められない、というのが今の論調ですが、ある意味極限状態の中での問題の選手の行為に対して、あの部長はどう対処すればよかったんでしょう。どうすればよかったんだろう。

 駒苫の内野手達はみんな、地獄の内野ノック練習をやってきたことでしょう。汗と土で泥だらけでボロボロになりながら、最後は気力だけでボールに食らいついていきます。何も知らない人が見たら、これは暴力行為とも拷問とも取れるかもしれませんが当然そうではありません。拷問との決定的な違いはノックをする側に「愛」があることです。そして、ノックを受ける側にもノックをする人の「愛」が多少伝わっている、ということです。完全に伝わるのは、きっと卒業してしばらくたってからでしょうか。
 
 問題の部長さんにも、その行為の瞬間、やはり「愛」はあっただろうと思うのです。その暴力を受けた選手に対しても、血のにじむような練習にしっかりと着いてきた他の選手たちに対しても。

[Society]
 


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