2006/10/03

まず、心のバリアを取り払え

バリアフリーな社会をつくろう、という考え方があります。

でも建物や街から段差がなくなったり、エレベーターやエスカレーターが増えたり、やたらと点字ブロックが敷かれることは実はあまり重要じゃなくて、まず、ひとが無意識に持っている心のバリアを取り払うことの方がずっとずっと重要なんだ、という話。

私はずっと自転車通勤をしています。でも雨の日にはできるだけ乗らないようにしています。北海道は最近、朝晩は結構冷えるようになってきて、雨が降るとさらに寒いのですが、雨の日に自転車通勤を休んでいる理由はそういうことじゃありません。

雨の降る寒い日でも、10分も自転車を漕げばからだがポカポカしてくるし、もうしばらくすると汗が流れ落ちてきて、まったく寒いなんてことはありません。着替えは全部リュックに入っていて、会社に着いたらすべて着替えてしまうので、濡れるのはまったく苦にならない。普段でも汗でびっしょりになるので、雨が降るとかえって爽やかなくらいです。

それでも雨の日に自転車に乗らない理由は、私が雨の日に自転車をこいでいる姿を見た知人に「寒くないの?」とか「たいへんだねぇ」なんて同情の眼差しを向けられるからです。そのたびに上に書いたような説明をするわけですが、ちょっとうんざりします。さらには、おそらく私のそんな姿を見て、ただ「あぁー」なんて思ってるひともいるでしょう。私には何も言わずに。

つまり「あの人かわいそう」って思われるのが嫌なんです。これはたぶん、だれもが持つ感情だと思います。ひとから無用に同情されたくはありません。

で、これは当然ながら、身体障害者や精神障害者、高齢者や妊婦など、社会的弱者と呼ばれるひとたちだって同じです。

こういう人たちを見て手助けをしてあげるとき、「かわいそうだから」という感情を持ってするのとそうでないのとでは、相手に与える感情がまったく異なります。

普通の女性が普通に困っていたとして、ある男の人が手助けをしてあげる。ふたりはちょっとした知り合いです。この男の人に「これでこの女性をなんとかしてなんとかなりたいなぁ」なんて、いわゆる下心があったりすると、その女性にはもちろん、その様子を見ている周りの人にも不快な印象を与えます。

このとき例えば「なんだよ、しょーがねぇなぁ。俺だって忙しいんだぞぉ」って感じで手伝ってあげたりすると、場合によって女性はポォっとなってしまったり、そんな状況を見ているまわりの人たちも好ましい印象を受けます。

大事なのはみんなが対等であること。かわいそがらないこと。決して見返りを求めないこと。一緒に笑い、一緒に悔しがり、一緒に怒って、一緒に泣く。

つまりそういうこと。理想ですけどね。

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