アート的なもの
しりあがり寿さんの先見日記「兵馬俑とハナ肇」を読んで。
料理屋さんで普段から普通に使われていたお椀が、したり顔で髭を生やしたかっぷくのいい客がどこかからあらわれて「こ、これは!」なんて言った途端に、突然光り輝き始めちゃうなんてことがあったりする。たぶんありそう。いやないかな。
それとは逆に、先祖の宝として大事に蔵の中で保管してあって、ことあるたびに出してきてお披露目したり、丹精込めてていねいにお手入れなんかしていたものが、「お宝鑑定団」みたいなところで見てもらった途端にクズ同然になってしまったりもする。これはある。よくある。
これはなんだろう?
ハッキリいえることは、アート的なものの価値が果てしなく不安定だってこと。
果てしなく不安定だから、どうにだってなっちゃう。
さて、どうしよう。
ところで、知らないうちに過去の先見日記が検索できるようになってました。
昨日、TechCrunch Japanese の「Pluggd、podcastを分節化して検索可能に」という記事を読んで、昔伊藤ガビンさんが同じようなことを先見日記に書いていたことに思い当たり、日記の検索ページへ行って「筆者」を「伊藤ガビン」にして「キーワード」に「検索」を入力してみると出てきました。
おぉぉぉ、コレは便利。これは去年の七夕の日付の日記ですね。伊藤ガビンさんのアンテナの先見性を思い知らされます。
試しに「筆者」を「坂本龍一」。「キーワード」を「CCCD」として検索してみると。出てきた出てきた。
このときは、時代が大きく変わる局面に立ち会っていることを実感して、なんだかとてもワクワクする思いだったことを思い出しました。
そうだ。人をワクワクさせてくれるものは何だって「アート」だといえるのかもしれません。だとすれば、価値がどうこうって話はどうだって良くなってきます。だって、そのときのその人の気分しだいで、ワクワクするかどうか分からないんだから。
There are 2 Comments
記事の本題じゃなくて枕に反応してしまってごめんなさい。
なんか有名な小噺で似たようなを聞いたことがあります。
(たしか福田和也さんの本で紹介されてたような)
ある高名な茶人が、ふと立ち寄った料理屋で出されたお茶を飲む時、
「こ、これは!」と驚いて、その湯飲みの底を覗いていた。
そのせいで、普段から普通に使われていたその湯飲みは、たちまち高値がついた。
あとでその茶人に聞いてみると、
「湯飲みの底から水漏れしているようなので、覗き込んで見ていただけだよ」
というオチでした。
(;´Д`)ぜんぜん本題にかすりませんでした。ご容赦ください
わはははは。
sheng さん、その話しおもしろい!
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