2007/01/18

神戸の震災のこと

あの震災のとき、僕は大阪の枚方というところに住んでいた。

大きな揺れを感じて目が覚めてしまった。のちの報道によれば、そのあたりは震度3だったらしい。それでも僕がそれまで感じたことのないくらいの大きな揺れだった。しかし、まったく固定されることなく置かれた本棚が倒れることもなく、それどころか棚の本が落ちてくることもなかったので、もう一度寝直すことにした。

1時間ほど寝て、胸がざわつくのを感じながらテレビをつけてみると、阪神高速道路が横倒しになっている映像が映し出された。なんだかまったく現実感のない映像だった。たぶん電車は動いてないだろうな、と現実的なことを考えながら、いつもよりは少しゆっくりめに出勤前の朝の支度を始めた。

テレビからは目が離せなかった。長田区で火災が起こっている様子が映し出されていた。そのテレビの情報によれば、僕が利用している私鉄はちゃんと動いているみたいだった。まさか、と半信半疑ではあったけれど、仕方がないので家を出ることにした。駅についてみると本当に電車は動いていた。

いつもよりも少し遅れはしたけれど、ほぼいつもどおりに出勤することができた。出勤途中に見える街の景色は、いつもよりも少し静かな印象で、現実感が希薄な感じだった。閑散とした、というほど静かではないのが、なんだかちょっと嫌な感じだった。

僕と同じように出勤することができたのは、ほんの数名だった。僕の家よりは震源に近い分だけ揺れが大きかったらしく、会社の本棚からはたくさんの本が落ちて床に散らばっていた。出勤できた数名で手分けをして、そんなものの整理が終わったのが昼過ぎだった。今日はもう仕事にならないだろうということで帰宅することになった。その頃になってようやく、自分の胸のなかに、なんだかすごく嫌な感じのするものがたまってきているのを感じた。

何名もの社員が被災して、中には自宅が半壊したものもいた。社員の中には「建築の仕事をしているんだから、この状態をちゃんと見ておいたほうがいい」といって、まだ交通機関が復旧する前に、阪神高速道路に沿って瓦礫の中を歩いて神戸まで見に行ったものがいた。その気持ちもわからないではなかったけれど、被災者の人たちの横を通ってそういうものを見にいくのはどうも気がすすまなかった。

そういったこととはまったく関係ないみたいに、仕事はいつもどおりの激務に戻っていた。震災復旧工事の設計や調査が多くなってきていた。僕が調査のために神戸を訪れた頃には、瓦礫はあらかた片付けられて、街はもうだいぶ元気や活力を取り戻しつつあった。神戸の人たちの表情が思いのほか明るいのが印象的だった。

ある被災者の言葉で、とても印象に残っている言葉がある。

その人は個人で設計事務所をやっていて、僕の勤務する会社の外注で図面を描いていた。その人が住んでいたあたりでは、日常生活がもとに戻るまでに比較的時間がかかったようで、長いあいだ飲料水や食料の確保に苦労しているみたいだった。
それでも仕事をしないわけにはいかないので、僕と仕事の打ち合わせをしに大阪まで出てきたときのこと。震災前とまったく変わらない様子で仕事をしている社内の雰囲気を見て、その人が笑顔でいった言葉が、
「ここへ来ると、自分が浦島太郎になった気分になるよ。」
だった。

ちょっと心が痛んだけれど、いつもどおりに打ち合わせを始めた。
あの言葉が今でも忘れられない。

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    There are 2 Comments

    Blogger ちゃめ said...

    >「ここへ来ると、自分が浦島太郎になった気分になるよ。」

     まさしくその通りでした。
     忘れていた感覚が甦ってきたみたいです。
     私は確か「大阪のデパートはバーゲン(セール)しとったで」と、一旦大阪に出て帰ってきた後、神戸の友人に話した覚えがあります。

    1/18/2007 3:43 午後  
    Blogger H & A said...

    ちゃめさん、コメントありがとうございます。
    あのとき神戸の人たちはみんな、同じような感覚を抱いていたのかもしれませんね。

    1/18/2007 4:14 午後  

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