2007/06/28

使命感のこと

このまえ責任感とか使命感とかのことを書いたら、「私は、責任感のほうが好きだなぁ。」なんていうひともいて、うーん......、となってたんですが、今朝「あ、これだ!(ピカーン)」というのを見つけたのでご報告。

これです。
使命感には、このカチーンって要素がちょっと含まれてる気がします。「ちょっと」なんてちょっと控えめに書いてみたりして。

使命感を抱く動機にはたぶん、カチーンとかイラッとかがあって、それが納得いかなくてほっておけなくて、どうしてもそれを自分の納得いくようにしたくて、そのためには自分自身のことも自分の大切なもののことも一瞬忘れてしまうような、そんな衝動が使命感なんだと思います。

ちょっと前に、特急電車の中で女性が見知らぬ男性から嫌がらせをされ続けて、その女性がそのことをまわりの乗客にも伝えているのにずっと嫌がらせ をされ続けた、という事件がありましたけど、あれはあそこにいた誰にも、その女性を助けなければならないという使命感が沸きおこらなかったってことなんだ と思います。
同じ車両に乗っていた乗客たちにも、その状況を車掌に伝えにいった乗客にも、その状況を伝えられた車掌にも。

たぶんそこに居合わせた人たちはみんな考えたと思います。
「いま自分はどうするべきなんだろう。自分の身を挺してまで、あの女性を助けに行かなければならない責任があるだろうか。自分はたまたまここに乗り合わせただけだ。自分はたまたま運悪くこの列車の車掌だっただけだ。いや、そこまでしなければならない責任は自分にはない。」

そんなふうにして、みんなの責任感だけが満たされたのかもしれません。自分にその責任がないことを確認すれば、その人の責任感は満たされてしまうわけです。正しいかどうかは別にして。

ちょっと意地悪な考え方ですけどね。

2007/06/26

責任感、とか

なにかをするときによく「責任感」があるかどうかが問われるけど

ホントのところ、「責任感」なんてあんまりたいしたものではなくて

ホントに世の中を動かしてるのは「使命感」なんだ。


「使命感」に駆られて行動する人が登場したとき

家族も、クラスも、会社も、社会も、大きく躍動的に変化する。

2007/06/25

ふつう、ということ

この記事を読んで考えたことを少し書いてみます。
家内とは大学時代からの付き合いで、彼女に出会ってから18年が経ちました。その間に半年間だけ、僕の都合でまったく会えなくなった期間がありました。
長距離バスから降りて半年振りに彼女に会ったとき、彼女はいつものように微笑んで迎えてくれました。特別じゃなく、いつもの微笑で。そのあと喫茶店に入ってたわいのない話をして、それからカラオケへ行って歌を歌いました。
それはそれで楽しかったんだけど、半年振りの再会がもっと特別なものであることを期待していた僕は、その不満を正直に彼女に話しました。すると彼女はこんなことを言いました。

 「なにか特別じゃなくて普通に過ごしたかったの。」

ふぅんそうなんだ、と僕はいまいち納得いかないまま、彼女に合わせることにしました。彼女と付き合い始めてから約2年後、いまから16年前のことです。

一月ほど前、タンブラーでこの記事を読んで、
こんなことを書きました。
これを書いたときようやく、あぁ、あのとき彼女はこういう気持ちだったのかなぁと気づきました。

好きな人と、好きな場所で、好きなものを食べたり、好きな音楽を聴いたり、好きな歌を歌ったり、笑ったり、たまにケンカしたり、怒ったり、怒られたりしながらふつうに過ごすのって、とても気づきにくくて忘れてしまいがちだけど、とてもしあわせなことなんだ。

2007/06/22

Copy とか Copyright とか

レコードやカセットテープ、ビデオテープやフィルムの時代。複製は必ずオリジナルよりも劣化しました。そういう意味で、オリジナルはコピーに対して明らかな優位性がありました。おそらく著作者も出版元もレコード会社も、ある意味安心していられた時代でしょう。

しかしCDが登場し、DVDがあらわれ、CDRやDVDレコーダー、HDレコーダーが普及しはじめて、感覚的にはほぼ劣化なしにコピーをつくることができるようになりました。最近はCDを買ってきたらすぐにリッピングしてパソコンに取り込み、CDそのものはブックオフへ売ってしまうという人も増えているそうです。
極論をいえば、CDやDVDなど「モノ」の価値が急激に下がってしまい、音楽であれば、その楽曲そのもの、あるいはその楽曲がつくり出すグルーブ感や高揚感、そしてその楽曲を生み出したクリエイターをリスペクトする気持ちなど、「モノ」ではなく「コト」と呼ぶべきものだけが残ったのかもしれません。

アナログからデジタルへの転換のなかでこのような変化があったわけですが、技術の進歩はとどまることを知らず、今日、この記事を書くきっかけとなったニュースがありました。
いま建築の世界では、先端を行く建築家たちによって3Dモデリングが盛んに行われています。スタディーから詳細設計の一歩手前までが3Dモデラーで行われたり、その途中で精巧に作った模型をレーザー光線で3Dマッピングしてデータ化したものを図面化するような手法がとられていたりもします。ゲーリーのビルバオ・グッゲンハイムなどがそうです。
このままの勢いで技術の進歩が加速していけば、そう遠くない将来「立体コピー機」なんてものが登場するような気がします。そのコピーは、触覚や嗅覚を含む五感すべてを満たしたバーチャル空間に存在するものかもしれません。
普通の会社の普通の係長補佐とかが、できあがった商品の立体コピーに触りながら「このコピー機、質感の再現力がもうひとつだよなぁ」なんてつぶやく日がきそうな気がします。

Copy とか Copyright とかについて考えるとき、そんな将来のことも頭の片隅においておくといいような気がします。もしそんな日がきたら、今度はいったい誰が安心していられなくなるんだろう。

2007/06/21

おれは「ガンガレ」ということばが好きすぎる。

インスパイア元
よく似たことばで「ガンバレ」がありますが、あれは油断していると上から目線になりがちで、応援しているのかもっとやることを要求しているのか分からなくなりがちです。そして言われたほうは、自分的にはもう結構がんばってるのにまだまだなのかなぁ、と落ち込んだりしがちです。

それに対して「ガンガレ」あるいは「(,゚Д゚)ガンガレ! 」は、どういうわけか上から目線にはなりにくく、ちょっとへりくだった感じになります(当社比)。当事者と同じかちょっと下の立場から、あるいはちょっとアホになった感じで、純粋に応援している気持ちが前面に押し出されます。おれもガンガルからおまえもガンガレ!みたいな。でもホントはおれはガンガらないんだけど、それを見透かされていることは了承済み、みたいな。てへっ、みたいな。

2007/06/15

ネイティブっぽく話すために

この記事を読んで、前からずっと思っていることを少し書いてみます。
英語の発音でまずやるのが「th」とか「r」とか「wh」だと思うのですが、ハッキリ言ってこれらはあとまわしでも良さそうです。というのは、このへんの発音はネイティブの5~6歳くらいの子供たちでも発音できてないことが結構あったりするのです。
これは大人たちに「この子はこの発音ができてないから、この音に置き換えて」聴く耳ができあがっているということだとも考えられます。その「聴く耳」は外国人に対しても当てはめてもらえますので、しばらくは甘えることにしましょう。

で、このへんをあとまわしにしてまっ先にマスターするべきなのが「a」です。「a」にもいろんな音がありますが、最も重要なのが「え」の口をして「あ」という「a」です。
最初は「ぇあ」と言うくらいでいいかもしれません。ポイントは日本語ではありえないくらい口を横に広げること。そして気持ちのテンションはかなり高めです。
いかにも英語をしゃべれそうなDJやアナウンサーというのがいると思いますが、それはあの人たちの「あ」がうっすらとこの「ぇあ」になってるからではないかと思われます。

そ してこの「a」が、英語をしゃべる人たちの独特な顔の表情や、テンションの高さや、英語を音として聴いたときのノリやグルーブをつくりだすモトになってい ると思います。そして2歳児だろうが3歳児だろうが、ネイティブの子供たちはみんなちゃんとこの発音をマスターしています。

試しに、発音に注意しながら「Apple」と言ってみると、自分がスティーブ・ジョブスになった気がします。(個人差があります)

逆に、簡単なようで侮れないのが「t」の発音。お店で「battery」が通じなくて困ったことがあります。バンテリンとか持ってこられるし。あれには参った。

2007/06/12

妄想運転

たとえばの話。たとえばの話です。

Guns & Roses っていうバンド名が、そのバンドのあるメンバーの好きな小説の好きな場面の中に出てくる好きな言葉からつけられていたとして(ホントの Guns & Roses はそうじゃないと思うけどホントにそうかもしれない)、雑誌のインタビューかなんかでそのことを話したりする。

インタビューでそんなことを話すくらいだから、そのときそのバンドはノリノリでイケイケな感じで、で、そのときその小説家もノリノリの状態だと、そのエピソードがその小説家とその小説のステイタスをぐっと高めることになりそうです。理想的にはその小説家が死去したあとだったりするのがいいのかもしれません。こういうのウィン・ウィンの関係とかいうんでしょうか。

しかしその小説家はまだ存命で、すっかりスランプに陥って書けなくなっていて、見るも無残にどん底に落ち込んでいて、その一方でバンドの方はまだまだノリノリの絶好調だったりして、そこでその小説家が「おい、そのバンド名はオレの.....。」なんてことをいいだしたりなんかすると、もうその小説家のイメージはすっかり地に落ちてしまって再起不能になるよなぁ。

なんてことを、このまえ車を運転してるときにラジオで Guns & Roses を聴きながら妄想しました。ええ、ええ、ちゃんと安全運転ですともさ。