2007/05/31

説明する文化、しない文化

北野武監督が「その男、凶暴につき」を撮ってしばらくたったころだと思うのですが、雑誌のインタビュー記事の中でこんなことを言っていました。記憶の糸を辿りながら北野武口調で再現してみます。

「日本ってのは『暗黙の了解』の文化なんだよ。いわゆる『言わなくてもわかるでしょ』ってやつ。映画を撮るときも日本人は、背景の説明なしにいきなり始めたりする。それがハリウッドでは、あっちは多民族国家だからかどうか知らないけど、まずは説明からはじめるんだ。これはヨーロッパへいってもそう。国境を接した言語も文化も違う人たちに対して、まず説明からはじめるんだ。」

みたいな感じだったと思います。それを読んで僕は「な~るほど~」とやたらと納得したのを覚えています。で、さらに彼の撮った映画を観てさらに納得しました。

なんでこんなことを思い出したかというと、クールなウェブサービスってだいたい極端に説明が少ないということに気づいたからです。
Google の検索サービスにしても、最近ハマっている Tumblr にしても。とにかく好きなように使ってみてよ、スゴいから、とでも言われてるみたいな感じ。
明るくて見つけやすい場所に洞窟の入り口があって、中に入ってみたらすでにみんながたくさんいる広ーい場所があって、その先にはいくつもの細くて長い洞窟が続いていて、たくさん枝分かれしたり繋がりあったりしてる、みたいな感じ。どんだけ~、みたいな。

で、こういうウェブサービスってほとんど海外のものなんですね。日本人がつくったのは妙に説明が多くて、説明だけでもうおなかいっぱいですってのが多いような気がします。
そんな中で、HATENA の Rimo はかなりいい線いってたんじゃないかと思います。あんまり見てないけど。

ソフトウェア開発においては、先程の北野監督が言っていた日本と欧米の文化の違いが、まったく逆になっているような気がします。どうなんだろう?

2007/05/23

情報の賞味期限

「情報の賞味期限」がどんどん短くなってきている、っていうのをどこかで聞きました。

インターネットの普及とブログの登場によって情報を発信する人の数が爆発的に増え、情報の広まり方がそれまでとはまったく違うものになってしまったそうです。旬の情報は一気に広まりますが、その旬は極端に短く、また別の「旬の情報」へと人々は移動していきます。
ちょっと前にすごく話題になった話なのに、もうずいぶん昔のことのように思えるってこと、増えてませんか?

僕の情報収集源は Feed Reader です。最近は livedoor Reader を愛用しています。気になるニュースサイトやブログを見つけたらドンドン登録し、ショートカットキーを使って情報のシャワーを浴びるように流し読んでいきます。
その中で気になったものは「はてなブックマーク」したり、最近では Tumblr にポストすることも多くなってきました。
大量の情報が僕の中を通り抜けていって、その中で引っかかったものが「はてブ」や「Tumblr 」にクリップされ、それらのクリップが作用しあって増幅したときに、こうしてブログに記事を書く、というのがパターンになっています。

そういう意味で Tumblr の Dashboard は、良質な情報のシャワーを浴びながら、クリップと情報発信とコミュニケーションを同時に行うことができて、ものすごい場所だってことが言えます。

その一方でこんな話が気になっています。
 小説以外のメディアが小説を超えているように見えるのは、それらのメディアの提供する情報の総量が、圧倒的に小説を超えているからじゃないかと僕は思っています。それから伝達のスピードが、小説なんかに比べたら、もうとんでもなく速いですね。おまけにそれらのメディアの多くは、小説というファンクションをも、自己のファンクションの一部としてどん欲に呑み込んでしまおうとする。だから何が小説か、小説の役割とは何か、という本来的な認識が、一見して不明瞭になってしまっているわけです。それは確かです。
 でも僕は小説の本当の意味とメリットは、むしろその対応性の遅さと、情報量の少なさと、手工業的しんどさ(あるいはつたない個人的営為)にあると思うのです。それを保っている限り、小説は力を失わないのではあるまいか。時間が経過して、そのような大量の直接的な情報が潮を引くように引いて消えていったとき、あとに何が残っているかが初めてわかるのだと思います。(「村上春樹、河合隼雄に会いにいく 」129ページ)

なにを隠そう、僕はいまだに携帯電話を持っていないという、いまの日本ではもう天然記念物的な存在なわけですが、そのお陰で出張の電車の中などでは本を読んでいることが多いです。情報雑誌を読むこともありますが、小説を読むことのほうが多いです。文庫本はかさばらないし、なによりも時間が長持ちします。
そして村上春樹さんがおっしゃるように、いい小説を読んだとき、こころにずっしりと残る、ことばにすることがとても難しい、あのよくわからないものって、いつまでたってもずっしりと残ってるんです。

どっちがいいとかどっちが悪いとかじゃなくて、いまの僕にとっては「どっちも」大事です。たぶん「どっちか」だとあんまりよくないような気がします。

2007/05/18

トンネル

車でトンネルを抜けるのが好きだ

明から暗へ 暗から明へ

増幅されるスピード感

流れていくオレンジ色のライト

頭上で回る巨大なタービン

リアルな非日常

お手軽な近未来

2007/05/17

ReBlog 論

その後もあいかわらず Tumblrハマっております。

で、ReBlog なんですが、「論」ってほどのものではなくて、全然まとまっていなくて、モヤモヤしっぱなしなワケですが、記事タイトルなので無駄にキャッチーにしてみました。

Tumblr をはじめるとまず引っかかるのが ReBlog です。
誰かの Tumblelog に気になる記事を見つけたら、まずその記事のパーマリンクを表示して右上の ReBlog ボタンをクリック。で、そのまま左下の ReBlog Post をクリックしてもいいし、その記事に好きなように手を加えてから(!!)Post してもいい。Dashboard ではもっと簡単で、Friends の気になる記事を見つけたら、そこへカーソルをホバーすると表示される ReBlog アイコンをクリック。で、Post 。最短2クリックで Reblog 完了です。なんだこれ。

この前も書きましたが、各々の Tumblelog では、その記事が ReBlog されたものなのかどうかはまったくわかりません。でも写真や動画、引用されたテキスト、どこかから読み込んだ Feed などであれば自動でオリジナル(?)へのリンクが付加されるのでいいのかなぁという気がしました。Dashboard で見ればそれが ReBlog であることと ReBlog 元も確認できるわけだし。(ReBlog が重複したり、もと記事に加工したりするとちょっと怪しいですが)それで書いたのがこの文章。
が。んが。上のように初稿が Tumblr で書かれたテキストだったりすると、これが ReBlog されたときにはかなり怪しいことになってきます。あぁ、オレもうわからんようになってきたよ、ってションボリしかけました。ReBlog 時に加工されたりすると、さらにわからんよーということになります。で、こんなことにもなります。
もうね、オリジナルってなにさ、ってことになってくるワケです。
で、こういう意見も出てきたりしますよ。
なるほどなー、と考えていて思い出したのがコレ。
Tumblr のシステム設計者の頭の中に Tropy 的なもののビジョンがちょっとでもあったとしたら、これはスゴいことです。

で、この記事を書いて気づきました。ブログに記事を書くときって引用することがためらわれるなーということ。気軽に引用しにくいなーということ。で、できあがった記事はリンクの羅列。わざわざクリックして読みに行く人がどんだけいるのか、と。  どんだけ~。

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2007/05/13

Tumblr にハマる

おもしろくてしょうがないんですけどコレ。
で、できたのがコレ。
僕が探した中で Tumblr についてもっともわかりやすく説明されているのはこの記事。

“はてブ”以上、ブログ未満

コレ(↑)はまさにその通り。Tumblr にのめりこみ始めてからというもの、僕の場合は「はてブ」もミクシィ日記もブログのエントリも減り始めているような気がします。なんだか Tumblr にクリップしただけで満足してしまいます。

なんでしょうか、このオモシロさの正体は。おぼろげに見えてきているのは、Dashboard と ReBlog になにか秘密がありそうだ、ということです。
  • シンプルだけどツボを押さえた高機能な Bookmarklet によってお手軽ポスト。
  • やる気になればどんどん拡張できるテンプレート。
  • Feed の出し入れが簡単すぎて怖い。そのおかげで自分のまとめサイトみたいに使ってる人がいますが、そういう使い方はそのうち廃れていく予感。
で、ここまでは今までもいろいろとあったような気がするんです。Tumblr が違ったのはここから。
  • おもしろクリップを連発する人を見つけたら迷わず Friends に登録。「友達」じゃなくても「Friends」でOK。自分が誰かから Friends に登録されると Followers として表示されるため「Tumblr 疲れ」発生の予感がしますが気にしない。
  • Dashboard は Feed Reader 替わりとして使えます。お気に入りの Friends のクリップをどんどん見られます。Feed Reader には情報がたくさんあるけど「ひと=Clipper」の存在が希薄。Dashboard には「ひと=Clipper」の存在が強く感じられます。
  • ここでスゴいのが「効果的な引用」と「写真」の威力の強さ。動画は微妙。はてブみたいに記事タイトルにリンクがついたのが並んでるだけのはクリックする気がしない。
  • Dashboard で気になる記事を見つけたら「ReBlog」 ReBlog した記事を自分のサイトで見ると、それが Reblog であることはまったくわかりません。でもそれはそれでいいみたいです。ちょっと前に Yahoo ! Blog で問題になった「転載」機能とはちょっと意味合いが違いそうです。Dashboard で見ると ReBlog した当事者同士はもちろんのこと、Friends たちにも ReBlog したことが一目瞭然だからです。
  • で、ReBlog されると、なぜだかとってもうれしい。(←これ重要)
  • あと、Friends が知らない人の記事を ReBlog してて、その記事がまたいい感じだと、どんどん Friends が増えていくよー。・・・よー。
ということで、僕がどんなふうにハマっているのかお分かりいただけたでしょうか。

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2007/05/10

恥ずかしい落書き

大学に通っていたころ、ある先輩が泥酔して寝入ってしまい、顔を軽く叩いても、ほっぺを軽くつねっても、鼻の穴にティッシュを詰めても起きなくなってしまった。
それをいいことに別の先輩がその先輩を全裸にして、顔はもちろんのこと体中に恥ずかしい落書きをしてしまった。

ここまではよくあることですね。(←そうなのか?)

二日酔いで痛む頭を抱えて昼前に起きた先輩は、自分の姿を見て驚いた。そして洗面所へ行って鏡に写った自分の顔を見てさらに驚いた。
こんなに酔ったらいつもなら夕方近くまで寝ているのに、昼前に起きたのはその午後に絶対に落とせない体育の授業があったからだった。体育だけに代 返は効かない。体育だけに出席さえしていれば落とすことはない。しかしもうすでにバイトの都合なんかで何回か休んでいて、もう休むことはできない。そして それは必修授業だ。

先輩は皮膚が剥がれ落ちんばかりに顔をこすりまくった。必死の形相とはこのことだ、と周囲のみんなは思った、というのは嘘で、恥ずかしい落書きのお陰で、その姿はまったく深刻なものに見えなかった。
そしてついに、そのあまりに恥ずかしい落書きは落とすことはできず、その先輩の留年は決まったのでした。


というエピソードを思い出しました。この写真を見てたら。
http://ziza.ru/2007/05/07/steb.html

2007/05/07

SEXY なクルマ

SEXY なクルマ、というのが存在します。

ファッションや宝飾品など、身にまとうもので SEXY さを漂わせるものはありますが、クルマのような大きなサイズのもので、無骨になりがちな機械が SEXY さを漂わせるのは珍しいことでしょう。
クルマと人間との関り方の特殊さを感じさせられます。

たとえば、ポルシェやフェラーリ、ジャガーあたりのいくつかのクルマがそれに当てはまると思います。

思わず手で撫でたくなるような、あるいは頬擦りでもしたくなるようなグラマラスなボディライン。角度を変えたりしながらうっとりと眺めていたくなるような美しいフロントフェイス。走り出したら追いかけずにいられなくなる、誘うようなリアヴュー。飽きずに聞き惚れてしまう、からだを震わすようなエンジン音。

こんなクルマに、いつか乗れるようになってみたいものです。

2007/05/01

コトノハのこと

エスカフラーチェLLCOHIDAさんがやってるコトノハのことです。

コトノハ - Hot:最近人気のコトの RSS を Feed Reader で受け取って、気になったコトに答えたりなんかして楽しんでたわけですが、最近になってようやく、コトノハの楽しみかたってホントはこーじゃん!ってのに気づきました。要するに「コトを Post すると断然おもしろい!」ってことです。

あるとき、ハッと思いついて突然 Post してみたんですよ。ふたついっぺんに。
ひとつはコレ。
もうひとつはコレ。
それ以来まだ Post してませんがね。(自爆)

で、上のなんかはこのブログではちょっとアクセスのある記事のタイトルそのままで、「コト」投稿者である僕のコメントにはその記事へのリンクが貼ってあります。で、その記事はというと、
アクセスはあってもコメントはついてません。セルフコメントだけ。はてブコメントも、らぶさんだけです。それがどうでしょう。コトノハではコメントつきまくりです。当たり前といえば当たり前なんですが。○か×かというお手軽さが効いてるんでしょう。それにこれはブログ記事のタイトルということで、ちょっと意識的に煽り気味になってるので、そのあたりにカチンときたりショボンとなったりしてるのが分かります。

発信することの意味を再認識させられた気がします。

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