トラウマ
いつものごとくうろ覚えなのですが、たしか村上龍さんがこんなことをおっしゃってました。
「最近トラウマという言葉が簡単に使われすぎる。トラウマというのはもっと深くて暗いところにあるもので、気安く使われるべき言葉ではない。」
なるほどなーと思いました。たしかにそんな気がしました。「オレこのまえのテストでヤマかけたとこが全然でなくてさー。トラウマになってんだよね。」みたいな話を聞いたことがあるようなないような。
トラウマについて調べてみるとこんなのがありました。
自然災害や事故はこうした日常の連続性を遮断し、人が生きるための大切な基盤である安全間にヒビを入れます。こうした体験をトラウマといいます。事故や災害だけが人の心を危険に曝すわけではありません。
むしろ他人からの攻撃や暴力の方が人の心に破壊的に働くでしょう。その典型は戦争で、事実、戦争は大勢の人々の心を破壊してきました。でも戦争の場合には、自分と同じような被害を受けている多数の犠牲者がいます。
なるほど、これがトラウマなら簡単に使えそうにありません。ここまでの経験をしている人はそういるものではありません。
最近知り合ったひとが自分の生い立ちについて語ってくれたことがあって、その人はぼくなんかくらべものにならないくらい辛い経験をたくさんしてきていて、そんな辛い経験がその人のものの考え方や精神状態に大きく影響していることがわかって、おそらくそんな精神状態だからこそ起こったであろう普通じゃない出来事なんかもあって、いろいろと考えさせられました。
ぼくとしては、その人が体験した辛い出来事はトラウマとしてその人の心に傷を残すのに十分だと思われました。でもその人は、トラウマという言葉はまったく使いませんでした。とても聡明なひとなのでトラウマという言葉を知らなかったということはなかったと思います。そのかわりにコンプレックスという言葉をたまに使いました。
トラウマという言葉が、自分では修復不可能などうしようない傷という印象であるのに比べ、コンプレックスという言葉は、それを悪しきものと捉えて、なんとか克服してやろうとしている印象があります。
本当にこころにトラウマを抱えている人は、それをトラウマとは思わないものなんじゃないか。トラウマってそういうものなんじゃないか。そんな気がしました。
いや。そうだといいな、という気がしました。
There are 2 Comments
「あつものに懲りて膾を吹く」の短い言い方があればいいのかもですね。
でも「あつものに懲りて膾を吹く」だと、「トラウマ」の語感よりもいくぶんコミカルで風情があります。
■Sheng さん
そのことわざは知らなかったので調べてみました。「膾」は「なます」と読むんですね。そして「ある失敗に懲りて、必要以上に用心深くなり無意味な心配をする」という意味のようです。
トラウマもコンプレックスも、その人の「失敗」ではないところが、そのことわざとはちょっと違うかなぁという気がしました。
でもそんなふうにコミカルにして笑い飛ばす精神には大賛成です。
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