佐野元春の、手法についての考え方
中学生のころに雑誌で読んだ佐野元春へのインタビュー記事にこんなのがありました。時期はたしか「No Damage」のころ。自らの音楽についてこんなことを言ってました。
「いま街にあふれているポップミュージックをつくる上でのあらゆる手法は、ほぼすべて60年代までに出揃ってしまっている。いま僕らは、それらの中からなにを選んで、なにを切り捨てるのか。そんなことをしているに過ぎない。」
例によってうろ覚えで、だいたいこんなことを言ってたなーて感じです。ちょっとクール気味にアレンジしてる可能性あり。
そんないいかげんなこと言いながら、その言葉にガツンとやられたのは事実で、なんてカッコいいんだこのひとは、ということでその後どんどん佐野元春にはまり込んでいきました。
僕がそのころ好きだったミュージシャンの中にはそんなこという人はいなかったし、そのあともいなかったかもしれない。手法に関しては、その後、ラップというまったく新しい手法が登場し、佐野元春自身もいち早くそれを取り入れ、その後ポエトリー・リーディングへと進んでいきます。
つまり、手法は出揃ってなんかいなくて、まったく新しいものが生まれる可能性はいつだってあったわけなんだけど、それでも、あのときのあの佐野元春の言葉は、僕が何かを創るとき、いつも頭の中にあって、熱くなりすぎてしまいそうなとき、うまくクールダウンしてくれます。
There are 4 Comments
はじめまして。
佐野元春の2008年ライブツアーが始まり、
初日から観てきました。
数年振りに感じた生の演奏でしたが、
年齢を感じさせない3時間のプログラム、
26曲の熱演に、年下の僕もボケちゃいられないなと、
襟を正させていただきました。
彼の存在は生きる指針の一つとすらなりうる。
そんな評価は過大すぎるでしょうか?
少なくとも僕にとっては。
お邪魔しました。
FRON [POP-ID通信。]
http://popid.exblog.jp/
■ POP-ID さん
はじめまして。コメントありがとうございます。
今年のツアーでは懐かしい曲をたくさんやってるんですね。観にいきたくなりました。
彼の音楽やファンに対する真摯な態度には、たくさん見習うべきところがありますね。「生きる指針の一つとすらなりうる」は同感です。
これからもどうぞよろしくお願いしまうs。
ちゃめさんBlogから来ましたよ。良いですね。
そういや、こないだ日本でなにげに図書館で文芸春秋読んだら(今年の3月号芥川賞発表号だったかな?)、ミニエッセイの欄にチャップリン未亡人の話と一緒に、佐野元春が母校でポエトリーリーディング教えてる話が載ってて、どちらもとてもよかったです。
「乳と卵」は全然分かりませんでしたが、ブッチャーの話もおもしろかったです。
satomi さん、コメントありがとうございます。
実は僕はポエトリー・リーディングにはいまいちノリ切れていないんですが、彼のそこへ懸ける情熱にはただならぬものを感じています。(なんだこの微妙さ)
ところで、satomi さんのプロフィールの日本語版で、職業のところが「公開中」となっていて、なんのことかわからなかったんですが「publishing」のことですね。
Google の翻訳がおかしいみたいですね。
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