2006/01/25

食について

 最近「食育」という言葉をよく耳にします。文部科学大臣によれば
「知育・徳育・体育」が教育の基本と言われてきましたが、今それらに加えて注目されているのが「食育」です。
 ひとことで言えば食に関する教育ですが、単に望ましい食習慣のための知識を身につけるだけでなく、食卓での一家団らんを通じて社会性を育んだり、わが国の食文化を理解したりすることも含む幅広い教育です。

 とのことです。

 とてもよいことだと思うのですが、ただちょっと気になるのが、だいぶ前にラジオで聴いた、こんな内容の話しです。
 食事の時間とはどんな時間なのか、という質問を日本人にすると、小さな子供のいる家庭では「しつけ」だとか「教育」などという答えがあったりはするものの、圧倒的に多い答えは「食べるための時間」というものだったそうです。
 どうも多くの日本人にとって食事とは、自分の体を維持するために必要な栄養補給のための作業であるらしいのです。言われてみるとそんな気がしないでもありません。

 どちらかというと日本では、家庭での食事中、できるだけしゃべらずに黙々と食べることが好まれるようです。口の中に物を入れたまましゃべるのは行儀が悪いし、おしゃべりをしながらダラダラと食事時間が長くなることもあまり好まれないような気がします。
 客人を招いての会食や宴会などの場では、無礼講的な感覚でかろうじてそれらの行為が許されているようにも思えます。

 同じ質問を西洋人にしてみると「コミュニケーションのための時間」という答えが圧倒的の多いのだそうです。これには驚きました。
 食事中、彼らにとって大事なことは、食べることよりもしゃべることなのです。だとすると、イタリヤやスペインの昼食の時間がやたらと長いのもうなづけます。

 文化の違いによるこの大きな感覚の違いをよく理解しないと、アメリカからの牛肉輸入問題なども含め、これから起こるであろう食に関する様々な問題はうまく解決できないような気がします。

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