2006/01/17

大学は終わった?

 世間はライブドアの家宅捜索、阪神大震災の追悼日、宮崎勤被告判決日、ヒューザー社長喚問といった話題で持ちきりですが、それらについてはちょっと横に置いておいて、昨年末に起こったという、とても大きな事件について取り上げてみたいと思います。

 『大学は終わった』 いとうせいこう  先見日記 Insight Diaries

 昨年末、早稲田大学文学部のキャンパスで、ビラをまいていた学生が教員複数名に私人逮捕され、その後警察に“建造物侵入”の容疑で逮捕・拘留されるという事件が起こった。
 逮捕されたのが早稲田の学生ではなかったため、“部外者の侵入を禁ずる”という大学当局の、いわば私有地への立ち入り禁止項目を守らなかったというのが理由になったわけだが、それにしても大学でビラを配っただけの人間が逮捕されるのは日本初、前代未聞である。

 なんだよ早稲田。それでも早稲田なのかよ。早稲田がこれじゃ、他の大学がどんなもんなのかは容易に想像できるってもんです。
 大学さえも、くさいものに率先してフタをする時代になった。自由区の機能を失った大学は、社会的意義の大きな部分をこれで失ったことになる。

 いや、これはもう「大学は終わった」って問題ではないような気もします。こういう世間的状況の中で行われるヒューザー社長喚問にどんな意味があるのか疑わしいです。

 かろうじて言論の自由が許されているのは、インターネットの世界だけになってしまったのかもしれません。
 
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    There are 2 Comments

    Blogger BB said...

     私の通っていた東京の大学は、先頃ご結婚なさったいとやんごとなきお方が在籍しておられた一方で、反代々木系極左セクト(いわゆる"新左翼")某派の根城でもありました。ちなみに早稲田は、昔からこの某派の学生運動における総本山とも言うべき大学です。

     私は、入学後の最初の1年間を、この某派系サークルで過ごしましたが、やがて見解の相違から喧嘩してやめました。
     時おりしも脱原発法制定運動などの盛り上がっていた時期で、私自身はこうした社会運動の方にシンパシーを感じており、学内で独自にポスター貼りなどもしたものでしたが、某派の連中にはがされてしまうのが常でした。
     反骨の青年であった私はその後、連中の活動を茶化す内容のポスターを学内に掲示したりして"抵抗運動"を展開し、そのため彼らから吊し上げられ、謝罪文を書かされました。

     民青や中核などの支配する大学でも事情は恐らく同じでしょう。大学内部に"言論の自由""表現の自由"などはそもそもなかったのだと思います。憲法で制度的に保障された"大学の自治"は、現実には左翼諸党派の党勢拡大に利用あるいは濫用されてきただけなのです。大学内で語られる政治的言論は、連中によってその"自由"の内実を予め決定されてしまっており、そこから外れるものは弾圧の対象となる。少なくとも、私の学生時代の大学の現実はそのようなものでした。

     これは丸山真男の受け売りにすぎませんが、権利や自由というものは日々これ行使に努めるべきものなので、行使を怠っていればすぐにサビついてしまうのです。
     今回の早稲田の事件にせよ、あるいは立川のビラ入れ事件にせよ"言論の自由""表現の自由"をサヨクの専売特許として連中に丸投げしてきた、そのツケが回ってきているのだと私は思います。
     こうした末期的現実にどう対応すべきか、私にもよくわかりませんが、ただ国家権力の理不尽に対して、可能な限り"ノー"を言い続ける勇気は持ちたいと思います。

     長文になってしまいまして申し訳ありません。

    1/17/2006 9:21 午後  
    Blogger H & A said...

    Big Brother さん、はじめまして。

    >こうした末期的現実にどう対応すべきか、私にもよくわかりませんが、ただ国家権力の理不尽に対して、可能な限り"ノー"を言い続ける勇気は持ちたいと思います。

    まさしくその通りですね。

    1/17/2006 9:58 午後  

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