2006/12/13

最近の松本零士氏が不快な理由

最近行われた、著作権保護期間延長に関するシンポジウムでも、ひとり気を吐いているご様子です。
僕の松本零士氏に対する悪い印象は、もう修復不可能な状態になりつつあるようです。

槇原敬之の盗作騒動」でチラリと触れたんですが、僕は松本零士氏さんのことをずっとクリエイターだと思っていました。でもなんだか違うなぁという感じもしていました。で、今日、突然ひらめきました。彼はもうクリエイターではなくなってしまっていたんだって。

0から1をつくる人、1から10をつくる人」で書いたように、アニメやマンガの世界では、成功した人は段々とクリエイターではなくなっていくことがあるのでした。もう彼はたぶん「ブランド」化されてしまっているのでしょう。少なくとも彼はそう思っているのではないかと思います。でなきゃ槇原敬之さんに対してあんな発言できないはずです。

著作権について考えるとき、まず第一に考えなければならないのは、あるクリエイターの創りだす作品を気に入って購入するなりして、そのクリエイターにお金を支払い、その人の創作環境の向上に協力しようとする人たちと、そのクリエイターとの結びつきです。

これまではずっと、クリエイターが創作活動だけして生活するためには、かなりのプロモーション活動が必要でした。プロモーションばかりしてクリエイションのほうがおろそかになっては本末転倒なので、ある程度作品の価値が評価され始めると、どこかのプロモーターと契約することになります。それは、あなたの創作環境を良好なものに保つため、あなたの作品を愛してやまない私が骨を折りましょう、というものであったはずです。
それから、命を削るようにして生み出した作品が、どこかの誰かによってコピーされ、その誰かの利益になるような行為がされないように、著作権保護団体と契約して取り締まってもらいます。

ここまではクリエイターにとってもファンにとっても、なにも問題はないはずです。しかし、プロモーター・著作権保護団体とクリエイターとの関係が逆転し始めたとき、話は大きく変わってきます。

創作に模倣はつきものです。それはクリエイター自身が一番良く知っているはずです。すべての創作は模倣から始まっているのです。クリエイターたちは自分の創作意欲を掻き立ててくれる他の誰かの作品を求めて動きます。クリエイター自身が他のクリエーターのファンであることもあります。若いクリエイターが自分の作品の模倣をしてくれることは、クリエイターにとって嬉しいことであり誇りでもあるはずです。
もちろん目に余るものというのもあるでしょう。しかしクリエイターにとって誇りにもなるべき行為にまで、プロモーターや著作権管理団体が取締りを始めたとき、何かが大きく損なわれてしまいます。

そして今、OK GO の登場によって、クリエイターが創作活動に専念する環境を保ちつつ、クリエイター自身の手によって、とてつもなく大きな数のファンを獲得し、さらにコミュニケーションまでとることが可能なことが証明されました。
iTunes Music Store の登場によって日本の音楽業界の成り立ちが大きく変わることを予想しましたが、既得権者たちの大きな抵抗によってまだ変わり切れていない状態です。JASRAC はさらに今、YouTube にも圧力をかけ始めています。JASRAC が今、必死で守ろうとしているものの正体とはいったいなんなのでしょうか?
それが純粋に、クリエイターたちの利益を守ることであれば良いのですが。

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