「意識」「無意識」
だいぶ前に見た「プロフェッショナル」に日本茶のブレンドをしている人が出てました。
このひとのスゴいところは、茶葉の目利きの技術。それも「化ける茶葉」を見つける技術のようでした。そして、安くて「化ける茶葉」と、それと相性のいい茶葉をブレンドして、低価格でも高級感のある茶葉を生み出すことをモットーにしていました。
このひとの目利きのコツがおもしろかった。もちろん、手で触ったり香りを吸い込んだり、お茶として出したときの色や味も確かめるんだけど、「化けるお茶」を見つけるときは、横目で、視界のスミに入るか入らないかくらいの位置で、見るともなしに見てるときに、葉っぱに呼ばれるのだそうです。
「呼ばれる」まえ、ちゃんとその葉っぱに正対して、触ったり香りをかいだり味を確かめたときにはなんにも感じなくて、パスしてたのに。そんな葉っぱが「化ける」そうです。
その「横目でチラ見」に、人間の「無意識」の「カン」の力を感じずにはいられませんでした。
最近この「無意識」の力のことばかり考えてるような気がするんだけど、考えれば考えるほど、これは考えても仕方ないことだなと思えてきます。
「意識」「無意識」ということで言えば、ちょっと前にタンブラーでこんな話があった。僕が無理矢理にそっちの話にしてるんだけど。
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