2006/12/15

プロじゃできないこともあるのかも

ちょっと前にニュースで、学校におけるいじめ問題を解決するため、心のケアを専門に行うカウンセラー的な人材を配置するための予算を計上した、とかいうのを知りました。うろ覚えですけどね。

これを聞いて僕は、そんなんで何とかなるのかなぁと思いました。

いきなり話はかわって、確か「はてな」の naoya 氏が言っていたとことだった思うのですが、はてなブックマークのタグ付けに代表されるフォークソノミーという概念に関して、タグ付けをする人たちが自分勝手であればあるほど、つけられたタグの価値は高くなるのだ、ということでした。
フォークソノミーとは - はてなダイアリー」で、「多数の人々が思い思いに入力した情報」という部分の「思い思いに」というところが思いのほか重要のようなのです。
たとえば、はてなが「タグ付けはこんなふうにするといいですよ」と指針を示すとか、影響力の高いカリスマブックマーカーが現れて、その人のタグ付けに多くの人たちが倣ってしまうとか、そういうことはフォークソノミー的にはマイナスになるようです。
みんながみんな賢くなってしまったり、みんながみんなのためを思い始めると良くないみたいです。そして、実はそれって社会の成り立ちそのものだと思うのです。

話は教育に戻って、今日こんな記事を読みました。
これの2ページ目のあたまの文章が重要だと思うのです。この部分が大きく損なわれてしまったことが、昨今のさまざまな社会問題の根源であるような気がします。

いろんなひとがいるってこと。いろんなひとがいていいんだってこと。いろんなひとがいるからいいんだってこと。みんながいい子にならなくったっていいんだってこと。
そんな大事なことを身をもってしみじみと理解してもらうためには、教育のプロが、いわゆる「先生」がいくらガンバってもダメで、近所にいる、なんだかダメそうな感じだけどどこか幸せそうな面倒見のいい兄ちゃんとか、やたらと怒ったり威張り散らしたりしてるけど、やっぱりどこかダメな感じの漂う親父とか、ビックリするくらいでかい荷物抱えて、そりゃないよなっていう感じの化粧をして、ものすごい勢いで東京へ出て行ったけど、今は近所の美容院でバイトしていて、店の外でタバコをふかしてるときに寄っていくとガムをくれる姉ちゃんとか、そんな人たちにしか教えられないんだと思います。

なんだ社会ってダメな人たちばっかりで成り立ってるんだ、って思ってるくらいが、いろんなことがうまく行きそうな気がします。

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    There are 2 Comments

    Anonymous ちゃめ said...

    >なんだ社会って…いろんなことがうまく行きそうな気がします。

     僕もそんな気がします。
     もっと寛容な社会になって欲しいですね。

    12/16/2006 9:20 午後  
    Blogger H & A said...

    コメントありがとうございます。

    寛容すぎるのもダメなんだろうとは思いますが、いま日本の社会は、とても大切なものをどこかへ置き忘れてきてしまっている気がしていて、それがいったいなんなのかはよく分かりませんが、でも、それを取り戻すために必要なもののひとつは、寛容さだと思うのです。

    12/17/2006 5:37 午前  

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