2005/12/27

それはいいことをしなさった。

 「かさじぞう」という昔話があります。

 ちょうど今のような暮れも押しせまった頃、お正月に食べるおもちを買うためのお金を稼ぐため、おじいさんは丹精こめて作った笠を街へ売りにでました。しかし、とうとう笠はひとつも売れず、がっくりと肩を落として、つくった笠を全部かかえて家へ帰る途中、道端にしんしんと降る雪を頭の上にこんもりと積もらせたお地蔵さんが並んでいるのを見つけました。そのお地蔵さんたちをかわいそうに思ったおじいさんは、売れ残ってしまった笠をお地蔵さんたちの頭にのせてあげました。
 家に帰ったおじいさんは、笠が売れなくてお金を稼ぐことができず、お正月のおもちは買えそうにないことや、帰り道に売れ残った笠を道端のお地蔵さんにかけてあげたことをおばあさんに話しました。

 するとおばあさんは、「それはいいことをしなさった。」といって、にこりと笑いました。

 このお話のキモはこの一言に尽きる、こんなこと言えるおばあさんはスゴい、このお話で一番えらいのはこのおばあさんだ、私はこんなことを言える人になりたいと思うけど、とてもなれそうにない、と家内が申しております。

[Misc.]
 

ソニーが自社内でゴタゴタしてる

 「Mora」からTHE BOOMのSONY時代の曲がすべて消えた!そうです。(固定リンクが分からなかったので記事一覧ページにリンクしています。)

 ソニーはまだ自社内のゴタゴタを片付けられないでいるようです。

 この前「The 50 Greatest Gadgets of the Past 50 Years」が発表されて、ソニーの Walkman が iPod から逃げ切って見事1位に輝いていました。
 「屋外で歩きながら音楽を聴く」「音楽を身につける」という革命的なスタイルを確立したのは Walkman であり、その意味で iPod は Walkman の延長線上にあるものなのですから、この順位は納得のいくものだと思います。今現在の両者の立場には雲泥の差がついてしまってはいますが。

 そんなソニーが、私達をワクワクさせてくれていたソニーが、見事に復活を遂げて、またワクワクさせてくれるようになる日はもう少し先のようですね。

[, ]
 

2005/12/26

スガシカオのポッドキャストがおもしろい

 iTunes で久しぶりにポッドキャストのところをブラウズしてて、J-WAVE 系の番組がたくさん追加されているのを見つけて、その中からスガシカオのと坂本龍一のを登録しました。
 教授のは1時間以上もあって、聴きはじめたんですが、やっぱりあの眠たげトークなわけで、ちょっと挫折してスガシカオのほうを聴くことにしました。あの眠たげトークはクセになるんですけどね。高校生の頃、NHK FM のサウンドストリートを欠かさずに聴いていたことを思い出しました。とにかくあの声はクセになります。

 で、聴き始めた「スガシカオの Night Stories
 J-WAVE で毎週月曜日の 24:30 から放送されている番組のダイジェスト版という位置づけですが、ポッドキャストだけのトークもあって、さらに30分の番組の美味しいところだけをピックアップしてくれているので、なんだか得した気分です。

 とはいえ、やっぱり生でラジオで聴きたいですね。う~む。

[]
 

2005/12/25

ご隠居さん

 日経ビジネス EXPRESS X : 【丸山茂雄インタビュー前編】「上前をはねる仕組みはダメ」と、ネットに触れて気がついたを読んで。

 どうも重要なのは
役割としては、おじいちゃんでいたいなと思っているわけね。若い者たちは勝手にどんどんやりなさい。何かあれば俺が相談に乗るよ、と。

 ってところなのかなと思いました。

 今はどうなのかは良く知りませんが、イギリスでは社会で十分に成功して、しっかりと財を成した実業家などが政治の道へ進んだのだそうです。社会で成功するためには、さまざまな辛酸をなめて世間の苦労を経験してきているだろうし、十分な財産を持っているので、ちょっとやそっとの賄賂にもなびきません。それどころか、私財をなげうって社会のために貢献したい、というボランティア精神を持っていたりもします。
 もちろんそんな人たちばかりではうまくは行かないのかもしれません。若くてギラギラしていて、これから成功を勝ち取ろうという人たちも必要でしょう。いつも重要なのはバランスです。
 しかし、政治の世界で大勢を占めるのは、そんな社会貢献の意識の強い人たちであって欲しいものです。

 実は私は、どんな世界にもそういった隠居的な立場にいて、豊かな経験とボランティア的な広〜い精神で、野心に燃える若者たちにとって、精神的にも金銭的にも相談に乗ってくれる大きな存在がとても重要だと思っています。
 
 まずは身近なところで、まちに一人や二人、みんなから親しみと畏敬の念を込めて「ご隠居」とか「おじいちゃん」と呼ばれる存在がいる社会になる必要があるかもしれません。

[, ]
 

2005/12/22

記憶と記録

 [N] ブロガー=“熱心に日記を書く林家ペー”説を読んで。

 私は最初の子供が生まれてからしばらく、どこへ行くにもカメラとビデオカメラを持っていき、子供の姿や子供と一緒に過ごす私達親の姿を撮りまくっていました。それは子供が小学校に入学する頃まで続いたのですが、あるときからほとんど撮らなくなってしまいました。ビデオはもうほとんど撮らなくなってしまったし、写真をチョコチョコと撮るくらいです。

 それは何故かというと、せっかく子供の晴れ舞台を記録に残し、後から子供に見せてそのときの思い出などを語りあおうなどと思っているのですが、ビデオカメラのファインダーを覗いていては、せっかくの晴れ舞台の臨場感がうまく感じられずに、後からビデオを見ながら語り合うであろう話の内容が陳腐なものになってしまうような気がしたからです。
 私がカメラマンに徹することができる場合はいいのですが、多くの場合、私はカメラマンである以前に父親なのです。

 アルファブロガーと呼ばれる皆さんが、料理が運ばれてくると一斉に立ち上がってその料理を写真に撮り始める、というシーンを、テレビクルーが「画になる」ということで撮影したそうです。
 こうやって日々ここへ記事を書いている私ですが、できればそうはなりたくないなぁと思いました。

 ん~、こう書くとちょっと語弊がありますね。
 ネタフルで紹介されているこのエピソードは、アルファブロガーが話題のラーメンを食べにいく、というイベント的な状況でのことで、アルファブロガーの皆さんが食事をするたびに日常的に写真撮影をしているわけではないのですが、日常生活の中にブログに記事を書くために起こす行動がやたらと増えてくるのはあまり好ましくないなぁと思うのです。
 
 日常生活ではブログのことは基本的に忘れていて、特に記録に残すわけでなく、自分の頭の中に記憶として残しておいて、で、自分というフィルターを通ってろ過されて記憶の中から残ったものをもとに記事が書ければいいかなぁ、なんて思うのです。

 記録よりも記憶優先ということになりますか。

 ただ、RSSリーダーとはてなブックマークだけは手放せませんけどね、いまのところ。

[Misc.]
 

2005/12/21

気まずい

 こんな本が来年2月に発行されるそうです。

 さよなら、気まずさたち

 言われてみると、社会生活において「気まずさ」というのはとても大きな位置を占めていることに気づきます。ミスをした負い目があるために気まずくてお客さんに会いに行きづらかったり、なんかやたらと気まずさを感じて、一刻も早くその場を立ち去りたい気分になったり、なんてことが誰にも一度や二度はありそうです。

 その気まずさに耐えられなくて、そんな気まずい状況に陥らないように、できるだけ人に会わないようにする、というのが、一時期よく話題になった「引きこもり」の引き金になっているような気もします。

 誰もがみんな、いかに自分が気まずい状況に陥らないかを注意深く意識しながら日々を送っています。あるいは、もう一歩進んで、いかに他人を気まずい状況に陥らせないかに注意して行動できる人は、ある分野の第一人者であったり、人気者であったり、一流と呼ばれたりする人なのかもしれません。

 ただ、この本で「エクセレント」と呼ばれる方法で気まずさを回避できる人は、よほどの大物か、よほどの○○(←自主規制)ですけどね。

[Society]
 

2005/12/19

斬新なのにいきなりスタンダード


 via Fresh News Delivery - 世界でもっともスリムなBluetoothマウス

 うむ〜、これスゴいです。なんといってもスゴいのは、
ラップトップのPCカードスロットに収納できて、収納時に充電もしてしまうブルートゥースマウス

 ってところです。

 この短いセンテンスの中に衝撃的で斬新な視点がいくつも与えられています。斬新ないくつものアイデアが見事に関連し合って相乗効果を生み、隅から隅まで合理的で、一石二鳥どころじゃなくて、一個の石でどんだけ鳥落とすんだよって感じです。
 なんといいますか、これはもうコンパクトマウスのスタンダードになりそうな予感がします。

 恐ろしくスリムなために、本体がパンタグラフのように持ち上げられています。使い勝手がどうなのかちょっと気になるところですが、この斬新なアイデアの前では、そんなことはもうどうだっていいような気さえしてくるから不思議です。

 早く実物を見てみたいです。

[Tools]
 

急がば回れってことだな

 小野和俊のブログ:私がシリコンバレーで学んだ5つの教訓を読んで、目からうろこが落ちました。

 どれもこれもいちいちごもっともで、そうか、そうすればよかったんだってモノばかりです。やっぱしシリコンバレーってとこはスゴいとこなんですね。

 五つの教訓の内、ひとつ目の会議のは、常識的で合理的な考え方でたどり着くことのできる教訓なのですが(そんなに簡単にはたどり着けないでしょうが)、残りの四つは、いわゆる常識的考えとは逆のことをいってます。

 特に三つ目の「行き詰ったら、どんなに忙しくてもリフレッシュする」は、今度そんな状況になったら是非実践してみたいと思わされました。
 何かにのめりこんでいる時って、途中で一度や二度は行き詰まったりするものです。それでもズルズルと仕事を続けて、まったく効率が上がらなかったことを思い出します。
 そんなときは潔く二日間くらい仕事をそっちのけでリフレッシュに当てた方が良かったんですね。私だったら、景色のいい場所を自転車で走ったり、映画館をはしごしたり、海の方へドライブして美味しいシーフードをたっぷり食べたりってところでしょうか。

 うんうん、これはいいこと聞いたぞ。

[Lifehacks]
 

2005/12/18

お客様は神様じゃない

 たまにお店なんかでイライラしたお客さんが「俺は客だぞ。客をなんだと思ってんだ?!」などといったりしてるのを見ることがあります。私はあれ結構嫌いです。
 日本ではどうも「客は偉い」とか「客はお店では威張っててもいい」とか思われているようですが、なぜでしょうか。三波春夫が「お客様は神様です。」と言ったからかどうなのかは分かりませんが。

 私は基本的に、客が支払う料金は商品そのもの、サービス業においては基本的なサービスに対するものだと思っています。客は商品につけられた価格と同額のお金とその商品を交換します。タクシーでは目的の場所まで車に乗せてもらうこと、床屋では髪を切ってもらいシャンプーしてセットしてもらうという基本的なサービスに対して料金を支払います。どちらが偉くてどちらが従うということはなくて商品とお金、サービスとお金を交換しているにすぎません。
 もちろんお店側は、また自分の店へ戻ってきてもらえるように、できるだけお客さんの気分が良くなるように笑顔で接したり、世間話をしたりします。でもそれはあくまでもプラスαのサービスであって、当たり前に行われるべきものではないのです。そのプラスαのサービスによってそのお店のグレードなどが決まってくるのは確かですが。

 海外旅行へ行くといろんなところでチップを渡すことになります。最近はチップは要りませんってところも増えてきてはいるようですが。日本ではチップを渡す習慣がないので、なかなかうまく理解できない人も多いようです。
 しかし、お店のレジで支払う料金はあくまでも商品そのものや基本的なサービスに対するもので、それ以上のサービスに対しては別に料金がかかると考えると、とたんに簡単に理解できるようになります。その別料金というのがチップなのです。

 例えばレストランで、食事の後でお店に支払う料金は料理に対するものです。しかし食事中に気分よく過ごすための重要な要素は、食事の味や量だけではなくてサービスもあります。ウェイターやウェイトレスはお店からも給料をもらっていますが、これは食事を運んだり食事後の食器を運んだりという純粋な作業に対するものです。客が気分よく食事をするためのサービス、つまり、スマイルや軽いおしゃべり、最適なタイミングでの、あるいはお客の行動を先回りするような給仕などに対する対価は、ウェイターやウェイトレスが客から直接チップとしてもらうのです。
 ですから、客はサービスを期待して、自分が気分よく過ごすために、ウェイターやウェイトレスにファーストコンタクトでチップを渡します。もう慣れている店で、顔見知りのウェイターが給仕についてくれた場合にはこれは要らないかもしれません。で、食事が終わったあとに、そのサービスに満足すればそれに見合った額をチップとしてテーブルに残します。満足できなければ置く必要はありません。最初にチップを渡したのに満足いくサービスがされなかったら、そのチップを返せということだってできます。これはちょっと勇気が要りますけどね。
 難しいといわれるチップを渡すタイミングも、こうやって考えると分かりやすいはずです。

 もちろんこれは西洋的な考え方ではあります。でも日本であっても、客とお店の基本的な関係は変わらないはずです。

 長々といっぱい書いてきましたが、こんなことはどうでもよくって、ホントにいいたかったことは、お店でやたらと威張り散らしているお客さんは廻りをとても不愉快にさせるので、どうにかなって欲しいなぁってことなのです。

 どうにかならないかな。
 
[Society]
 

2005/12/16

過疎化が日本を蝕んでいる

 昨日、「クローズアップ現代」で「故郷が消えていく」というのがやっていました。

 私は大阪近郊の都市部から北海道旭川市の近郊農村部に引っ越してきて3年目になり、「地域の小学校が廃校にならないためにはどうしたら良いか」とか「農家の空家をなにかに活用できないか」などという話題が日常的にかわされる環境にいるので、とても興味深く見ることになりました。

 番組の中で、過疎化が認められる市町村がピンク色に塗られた日本地図が登場したのですが、国土のおよそ80パーセント近い部分が過疎化していることがわかり、愕然としてしまいました。これはもう過疎化している地域それぞれの問題ではなく、日本全体の問題であることが良くわかりました。つまり、国や各自治体が策定している都市計画に問題があるということです。

 日本の都市計画は、1898年にイギリスのエベネザー・ハワードが提唱した「田園都市論」に大きく影響されています。各地域がこの理論に基づいて都市計画をし、それぞれちゃんと成功させていれば、これほど理想的なことはないのですが、実際には各自治体が自分勝手に都市計画を行い、自分のところの税収を増やすために利己的に動き、市民は仕事や利便性を求めて盲目的に都市部に集中してきました。
 ひとつの自治体の中で、農村部の過疎化を促進させる政策と、その農村部に移住者を呼び込もうという政策が同時に進行したりしているのが現状です。

 考えてみればすぐにわかることですが、都市部に人口が集中し周辺がどんどん過疎化していって良いことはひとつもありません。それを食い止めるためには都市近郊の農村部での快適な生活が保障されなければなりません。
 しかしそういった切実な問題意識は、実際に過疎化の進む地域に住む人間にしか芽生えないのかもしれません。国家レベルでの政策転換が必要なのですが、そういった政策を作る人たちの多くが都市部に居住しているのです。
「東京と地方の差をきちんと意識した上で考えなきゃいけない。東京にいると見えないことたくさんあるよ」的なことを言ってきたつもり

 という「音楽配信メモ」の津田大介氏が「iPodが流行っているように見えるのは東京に住んでるから?」という記事を書いてかなり攻撃をされているようですが、私には「穏やかな日々 - 津田大介氏(id:ozric)にマジレスをもらったので返信」で述べられている意見のほうがしっくりきます。

[Society]
 

2005/12/15

「不気味の谷」に落ちる

 リアル過ぎる『Xbox 360』用ゲームと「不気味の谷」現象を読んで。
 
 最先端のコンピュータ・グラフィックス技術を駆使してフォトリアルなキャラクターを作り上げようとすればするほど、逆にリアルさから遠ざかっていってしまうことを「不気味の谷」現象と呼ぶそうです。
人間のアバターが写真のようにリアルになった場合はどうだろうか?ここで奇妙なことが起こる。人間の脳は反発して、わずかに完璧さに届かない、些細な点に注意を向けるようになる。アバターのリアリズムはこのとき、突如として不気味の谷に転がり落ちる――そして、アバターはゾンビのように見え始める。

 これ分かる。すごく良く分かる。Xbox は持ってないし、コンピュータゲーム自体やらないのでナオミ・ワッツがどんなふうにゾンビ的なのかは良く分かりませんが、映画ポーラー・エクスプレスのテレビCMを見たときにやたらと気持ち悪かったのをよく憶えていて、たぶんあれに似た感じなんだろうと理解しています。
 Amazon のレヴューによれば「俳優の動きを、細かい表情の変化まですべてCGに取り込む「パフォーマンス・キャプチャー」という手法を使った」そうなのですが、その凝りに凝った最新の技術が、逆に「不気味さ」を生む原因になってしまったようです。あの主人公の少年の顔はまるで老人のようだったもんなぁ。

 Wired News の記事でもうひとつおもしろいのは、
史上最高と言うべき連載漫画『カルビンとホッブス』[邦訳集英社刊]にしても、作者のビル・ワターソン氏は1枚のページ上にいくつかのシンプルなスケッチを並べただけで登場人物の生き生きとした感情を描き出すことに成功している。アバターが漫画のようなタッチで描かれていれば、人間の脳は見たものをリアルな像に近づけるために空白の部分を補う。

 というところです。人の心にいつまでも残る素晴らしい作品は、全てを描ききってしまわないで、人が頭の中で、その人なりの「リアルな像」を作り上げることを許すための「空白の部分」が残されているものなのかもしれません。

 日本のアニメーションや浮世絵など、奥行きや立体感・質感などの表現を最低限にとどめた、「スーパーフラット」と呼ばれる作画方法は、「空白の部分」が残されている典型的な例といえます。「スーパーフラット」では、何も描かれていない余白の部分がどのように残されているかがとても重要視されているのもうなずけます。

[Technology]
 

2005/12/14

名前はどうなる? 2

 昨日の記事に続いて名前について考えてみました。ただ、昨日の記事とはまったく関係ないんですが。

 小鳥ピヨピヨ(a cheeping little bird): 「心大」って人名なんだけど、なんて読むと思う?に反応してみたいと思います。

 最近ホント多いですよね、わけのわからない子供の名前。絶対に読めないヤツ。
 こういう名前の子供達がこの先ずっと自分の名前を書くときに、相手から要求されてもいないのにふり仮名をふらなければならなくて、で、そのふり仮名ふるときにちょっと気恥ずかしい、ってことを続けていかなければならないことを考えると可哀想でなりません。
 「心大。ん?・・・ これは・・・ し・ん・た、でよろしいんですか?」
 「いえ、ハートです。」(ハズカシ)
 とか。

 初対面の人に名刺渡して、とりあえず話題に困らないっていうメリットはあるかもしれません。

 とかなんとかいろいろ考えられますが、決定的に重要な問題点は、小鳥さんが指摘されているように、
あまり人気のないマンガに出てくる名前みたいな気がします

 ってところです。

 つまり要するに、とんでもなく4流感が漂ってしまうのです。もう3流ですらない。

 気をつけたほうがいいと思います。

[Society]
 

2005/12/13

名前はどうなる?


 このふたつの記事を読んで、想像がドンドンふくらんでしまいました。

 まずは会社名と名前とEメールアドレスだけが書かれることになりそうな伊藤ガビンさんの名刺を想像してみたら、なんだかやたらとカッコよくなりそうな気がします。メディアの先端にいる人たちにとって、自分を示すために必要な情報がとても少なくなっていることが良く分かります。
 極端なことをいえば、自分のことをウェブで検索してもらう糸口さえ示せばいいのだから、名前だけでもいいのかもしれません。

 なんてことを考えていると、mojix さんが、名前はなくてもいいかもしれない、なんておっしゃる。まぁこれは人物の名前のことじゃなくてファイル名のことなんですが。
 
 iTunes が快適な理由は"flat file system"(ディレクトリ構造をユーザーから完全に隠し、タグとサーチ機能を全面に出したファイルシステム)(参照)をごく自然な形で実現したからだ、ということがいろんなことで言われています。iTunes ではウェブ上の CDDB から情報を得ることによって、必要最低限のタギングが自動で行われています。それらの情報を元にした検索は、スマートプレイリストやパーティーシャッフルのように、これまたとても自然なかたちで行われます。ユーザはそれらの操作を、ファイルそのものをまったく意識することなく行うことができます。

 Apple はこのファイルシステムを iPhoto で写真データに、Spotlight でハードディスク内の情報全てに対して適用しました。Spotlight についてはまだ過渡期にあるので、ユーザはまだファイルそのものを意識する必要がありますが、近い将来、全ての情報はフォルダ分けされずにワンボリュームで管理されることになるでしょう。

 Mixi でマイミクの数が一定量を超えると、マイミクのハンドルネームで管理することができなくなります。マイミクみんなの日記を読むわけにはいかないので、キーワードで日記を検索して読むことになります。これはつまり、人間の名前さえも"flat file system"で扱われる可能性を示しています。あ、示してませんか。無理がありますか、そうですか。

 ん~、とにかくそれに近いことが起こりそうな気がします。
 で、そのときにとても重要になってくるのが、検索で自分のことが引っかかるように、いかにウェブ上に自分の情報を発信するか、ってことです。人の名前ではなく、その人が発信している情報の方が重要になります。有名だろうが無名だろうが、名前としてはまずフラットに置かれることになります。ある人にとって有益な情報があれば、その人にとってその情報を発信した人の名前が記憶されるかもしれません。あるいは記憶されるのはその情報だけかもしれませんが。

 人の名前の意味はどんどん希薄になっていくのかもしれません。

[IT]
 

理解できないこともある

 極東ブログ: 学習塾小六女児殺害事件雑感を読んで思い出したことがあります。

 久米宏がやっていた「ニュースステーション」に村上龍がゲストインしていたことがありました。たしか「13歳のハローワーク」が大反響を呼んでいて、その話をしにきていたんだったと思います。

 村上龍は、その話題を取り上げるコーナーが始まる前から久米宏の横に座っていて、そのときちょうど猟奇的な殺人事件のニュースが伝えられました。久米宏が突然、村上龍に「こういう不可解な殺人事件についてどう思うか」という意味の質問をしました。

 「この不可解さを心理学や社会学や犯罪学などで明らかにしようとすることが間違っている。人間の心の中には闇の部分があって、それは誰の心の中にもあって、その闇の部分は理解できないということを理解した方が良い。闇を受け入れ、闇とどう付き合うかを考えた方が良い。」

 村上龍がこんな意味の見解を答えると、一瞬スタジオが凍りついたみたいに静止したように感じられました。

 結局そういうことでしかないのかもしれないなぁ、と思いました。

[Society]
 

2005/12/12

「人生は辛抱」なのか?

 はてなの jkondo の日記で「日本全体の大渋滞現象」という日記を読みました。

 以前に「スティーブ・ジョブスのスピーチ」という記事で、ジョブスが毎日実行していることを自分が実行することは到底できなくて、途方に暮れた、ということを書きましたが、その理由がここに書かれているような気がします。

 「人生は辛抱だ」とか「みんながちょっとずつ我慢して自分のやりたいことをやらないでいる」とか「自分のやりたいことがなんなのか分からない」ってのが日本の社会構造にドッカリと根を下ろしてしまっているみたいです。
 時には辛抱も必要ですが、というか、私も日本人ですので辛抱することは良い人生を送るためにとても重要なことのひとつだとは思いますが、ずっと辛抱しっぱなしでは意味がありません。自分のやりたいことを見つけて、それを実現するために辛抱するんでなければなりません。

 で、そのステップの一番最初にある「やりたいことを見つける」ための手助けをしてあげるのが、義務教育の最も重要な役割だと思うのです。ここが成立しない限りはスタートができないのです。

[Society]
 

2005/12/10

PinGoo!

 便利なサービスがリリースされています。

 PinGoo!

 サイト更新をしたら、ここ一カ所に Ping を送っておけば主要な国内の Ping 先には PinGoo! が代わりにPing を送っておいてくれます。これが登録PINGサイト一覧です。主要なところは既に網羅されています。Weblogs.comも追加して欲しいところですが、国内のサービスではないのでダメなのかもしれません。

 ブログ別PING設定方法に Blogger の項目も用意されていたので喜んでクリックしてみましたが、悲しいかなリンクはありませんでした。Blogger では更新と同時に自動で Ping を送れるのは Weblogs.com だけですので仕方ありません。これまで通りぶろっぐぴんぴんなどを利用して送るしかないようです。

[Web]
 

佐野元春「星の下 路の上」










 若旦那さんのところで発見して早速私のところにも貼付けてみました。佐野元春、またやってくれました。

 このところミディアムテンポやスローテンポな曲のシングルリリースが多かったのですが、思わず体を揺らしたくなる久々のロックンロールチューンです。
 ファーストアルバム「Back to the street」以来、ずっとストリ−トにこだわりを見せている元春が、また「路の上」でやってくれました。音楽表現だけにとどまらず音楽業界全体を揺るがすような活動を続ける元春には心から敬意を表したいと思います。

 デビュー以来在籍し続けた古巣 EPIC SONYとの交渉を成就させ、彼の古い楽曲が iTMS で販売される日が来るのを心から待ち望んでいます。

[Music]
 

2005/12/07

Yuki が歌う「ファイト!」

 昔いろんな動画ファイルをいっぱい集めたことがあります。いろんな動画ファイルですよ、いろんな。

 いっぱい集めたんですが、何回かハードディスクの掃除をしているうちにほとんど捨ててしまい、今残っているのはほんの少しになってしまいました。
 そんな何回かの大掃除をくぐり抜けて、わたしのハードディスクの中に残っているお気に入りのひとつが、この「元ジュディマリの Yuki が歌う中島みゆきの『ファイト』」です。調べてみると2002年1月1日~2月1日に SKY-PerfecTV Ch265 スペースシャワーTV の「ステーション-ID」で放送されたもののようです。

 これがいいんです。

 Yuki がホテルの一室のような場所で窓を背にして歌っています。すこしそっけない感じで歌い始めますが、そうではなくて、歌詞の内容に合わせて少しうなだれているのです。途中の「私ほんとは目撃したんです」からは、なんだかドンドン胸がどきどきしてきます。最後のサビでは、あまりの迫力に思わず口をあんぐりあけてしまいます。心が震える、とはこのことだと思わされます。
 たった90秒の映像なのに、ここまで人の心を震わせるとは、Yuki は天性のシンガーなんだと感じました。

 で、これを是非皆さんにも見ていただこうと、iTunes でも再生できるようにファイル変換をし、わたしのサーバーにアップロードしたところで、やっぱこれって著作権とか色々ややこしいんだろうなぁと思い、YouSendIt をサーバー代わりに利用してアップロードすることにしました。今日から1週間の間だけ下のリンクからダウンロードすることができます。結局やってることは同じのような気がしますが、少しは気が楽です。気のせいですか。

 ダウンロードページへ


[, , ]
 

2005/12/06

METAPHYS "hono"

 AssistOn で見つけました。

 テレビのニュース番組で、どこかのお祭りの山車につけるちょうちんに入れる電球にろうそくのような揺らぎを与えて、昔の山車の情緒のある雰囲気を取り戻した、というのを見たことがあります。
 その山車の映像を見ると、だしに飾り付けられたたくさんのちょうちんのあかりがユラユラと揺らぎ(ちょっとだけ不自然さは感じましたけれど)、確かに情緒のある雰囲気を感じることができました。
 
 「あかり」ってのは揺れるもんなんだなぁ、なんてことを考えたりしました。

  AssistOn / METAPHYS "hono"

[Tools]
 

2005/12/05

教養の価値

 学生時代によく「こんなの勉強したって、社会に出てから何の役にも立たない」なんて、自分の不勉強を無理やり正当化したりしましたが、社会に出てからは「あの時もっと勉強しとけばよかった」なんて思うことが多くて愕然としたりします。
 
 Passion For The Future: グロテスクな教養に、教養とは何かがうまく書かれていました。
  • 古典を知っているから深く味わえる作品があること
  • 古今東西を知ることで全体像を理解すること
  • 自分と無関係の他者に対する想像力を強化できること
  • ”ビジョン”に幅広い支持者層を得られること
  • 面白いユーモアを言えるネタ元
 最後にユーモアが出てくるところに激しくうなずいてしまいました。人を笑わせる能力って、知識に裏づけされた引出しの多さや、場の空気を読み、タイミングを逃さない直感的な能力など、多彩な素晴らしい能力の集大成だと思うのです。
 まぁもちろん、天然ボケで笑いをとる、なんてのもありますが。逆にいえば、もっとも知的なユーモアは、緻密に計算された確信犯的な天然ボケ、といえるかもしれません。「Mr. ビーン」あたりがそれっぽいですね。

[Misc.]
 

どうぶつの森

 Nintendo DS のおいでよ どうぶつの森が、いろんなところでえらい話題になっています。

 これはもう大ブームってことでいいでしょう。

 どうもこれの魅力は「特に目的がなくて、いつまでたっても終わらない。でも居心地がいい。」ってところのようです。これってどっかでも書いたような、と思って探してみたら、Cube World でした。こういうのが流行る時代なんでしょうか。みんなホッとしたいのかな。

 ところで、いしたにさんが悩んだ末に出した「どうぶつの森の楽しさ」とは何か、に対する答え
ぼくはもっとこの場所にいたい!

 に、ちょっと反応してみます。

 以前にどこかで聞いたラジオで、最近サーフィンにハマっているというゲストが、サーフィンの魅力を、こんな言葉で表現していました。
 「サーフィンをしていて、もう帰らなきゃいけない時間になったとき、え~、もう帰らなきゃいけないの? もっともっとこのままここで遊んでいたい!と思うんです。」
 その感情はちょうど、子供の頃、まだ遊んでいたいのに親に無理引きずって帰らされ、泣きじゃくっているときの感情によく似ている、とも言っていました。
 
 これを聞いて、無性にサーフィンしたくなったのをよく憶えています。サーフィンの魅力っていろんな言葉で表現されていると思いますが、私にはこれが一番響きました。
 人間が、あるものごとに究極にひきつけられているときに生じる感情って結局とてもシンプルに「ずっとこのままこうしていたい」なのかな、と思います。

 でもやっぱりいろんな理由で「ずっとこのままこうしている」ことは叶わないわけですが、簡単に持ち運びできるあの小さなボディで、とても手軽にその感情をよみがえらせることのできる「どうぶつの森」はかなりヤヴァいんじゃないかと思うのです。

 ヤヴァいぞ。

[Misc.]
 

2005/12/02

Pong Clock

 古今東西製品情報で発見しました。
 
ゲームの得点が時刻を表す時計。左は1時間に1回、右は1分に1回 勝つように作られてい

 るんだそうです。

 1時間に一度、左側が勝つ瞬間をどうしても見てみたい衝動に駆られました。

[Tools]
 

2005/12/01

最後は良心を信じるしかない

 今回の構造計算書偽造事件で、大きな責任の一端を握っているとされているもののひとつに民間確認申請審査機関「イーホームズ」があります。世間では「官から民へ」の規制緩和が今回の事件の背景に存在する、という論調が強いようですが、すこし疑問を感じたので書いてみたいと思います。

 実は今一番ビクビクしているのは、各お役所の建築指導課ではないのかなぁと思っているのです。

 最近よく聞く意見で「民間で審査がスピーディーになったかわりに必要な審査が飛ばされてしまった」というものがありますが、これは必ずしも正しくはありません。

 最近ニュースに頻繁に登場する10階建てくらいの鉄筋コンクリート造のマンションの構造計算書といえば膨大な量になります。これを審査するのは生半可な作業ではありません。マニュアルにのっとって全てのページを逐一確認していたら、法律で定められた期間内では確認作業は終わらないでしょう。これを間に合わすためには、経験にもとずいてポイントを押えた効率のよい確認作業が求められます。

 この経験とは確認作業の経験ではなく、その規模の建物の構造設計を行い、構造計算書をまとめた経験です。このような苦労をしないと、本に書いていることが実体験として身につかないし、どんなときにどんなところでエラーがでるのかが分かりません。

 で、このような経験をした人がお役所の建築指導課にいるかというと、かなり疑問を抱かざるをえません。かえって民間の検査機関のほうが、実際に設計事務所などでバリバリ構造計算をやっていたような人が転職してきている可能性があります。

 
このようなプロフェッショナルと呼ばれる人がいる可能性は、数年単位で部署の移動があるお役所の建築指導課よりも民間の審査機関の方が、高いのです。

 しかし、このようなプロフェッショナルの経験も、長い間審査しかしていない間に古くなってしまいます。つまり、審査する側よりも設計する側のほうが常に一枚も二枚も上手という状況になります。

 では建物の信頼性はどうしたら保たれるのでしょうか?残念ながら、最終的にはその建物に携わった設計者・工事施工者・工事監理者の良心を信じるしかありません。

 ということですから、住宅を建てるときにはどの会社に頼むのか、あるいはどの会社の誰に頼むのかを決定するのに相当熟考する必要があります。出来上がったものを購入する場合は、その建物に関わった会社の評判をよく調べる必要があります。当然のことなんですけどね。

[Society]